もちろん、こうした「メタ」はアナとクリストフが出会う場面でも発揮されます。
「ははーん、高慢ちきの王子ではなく、心優しい山男のクリストフが『運命の人』という現代性を出してくるわけだな」と思ってしまい、またも騙されてしまうわけです。
クリストフはもちろん好人物で、道中ではドワーフが軽薄な恋の歌でアナとクリストフとの結婚を煽ってくるのですが、ここでもアナとクリストフとの関係が「真の愛」にはならないところに妙味があります。
ハンス王子から言い寄られて芽生える感情も、山男クリストフと共闘して雪山を進む中で育まれる感情も愛ではない。
それでは一体「真の愛」とはなんなのだ、この物語にどう決着をつけるつもりなのだ、と「定番の物語」に慣れた視聴者はハラハラしながら本作の行方を見守ることになります。
ディズニーの物語における諸問題は「真の愛」によって解決されなければならないのに、こんな展開で大丈夫なのだろうか、と「物語慣れ」した視聴者の不安を煽る。
ここに本作の魅力であるメタ的な手法の神髄が詰まっているのです。
ところで、個人的にはドワーフがアナとクリストフの結婚を煽る歌が非常に好みでありまして、本作のテーマ性をよく補完していると考えています。
結婚が当たり前だった時代の人たちや、「結婚」という観念に対してあまり悩みのない人たちが気楽に恋愛・結婚を賛美する様がよく現れていて、そういった観念について深く検討することが本作のテーマなのだということを逆に際立せることに成功しているのです。
社会的風潮・圧力というものは往々にして善意から、よかれと思う気持ちから生まれてしまうことを上手く表現しています。
さて、話を「真の愛」に戻しますと、最後まで絶妙なミスリードを欠かさないのが本作の凄みとなっております。
優しい山男のクリストフでさえアナにとって「真の愛」の対象ではないとなった後、本作の物語はその対象がエルサなのだという方向に視聴者の心理を誘導します。
「ここで同性愛とは現代的で良いね」と素直に受け取る人もいるでしょうし、「同性愛ね、流行りだよね」と穿った見方をする人もいるでしょう。
しかし最終盤、「愛とは自分よりも誰かを優先すること」というオラフの台詞をもとにアナが行動することで、そんな同性愛パターンへの想像さえもちゃぶ台返しされてしまうのです。
ハンス王子が振り下ろす剣から身を挺してエルサを守ったアナ。
物語中で唯一、アナが自己犠牲によって他者を救おうとする場面です。
この行動に呼応して、アナの心臓を侵していた氷が誘拐するところがこの物語が示す「答え」であることは明白でしょう。
アナが自分の心の中にある「真の愛(=自分より誰かを優先する気持ち)」に気づき、それに基づいて行動したことで、アナ自身が「凍り付いた心」から救われる。
ここに本作からのメッセージが込められているのです。
他者を救う行動が自分自身の心を救う、というのはいかにもキリスト教的で、現代におけるキリスト教圏作品の傾向を象徴しているのだと考えられます。
また、剣が振り下ろされた瞬間にアナの身体が凍り付き、結果的にその氷の鎧がアナの身を守る演出も見事ですね。
確かに、凍り付いた心はときに身を守ってくれます。
ある瞬間だけ、凍てついた感覚が重要になることもあります。
本作品が表向きのターゲットにしている小学校低学年や未就学の子供「以外」の視聴者ならば、きっとこのメッセ―ジの意味するところにはっとしたことでしょう。
結論
ディズニーの転換点を示す重要な作品。
娯楽作品であっても常に「社会性」が求められるアメリカならではの作品だともいえます。
途中、「真の愛(True Love)とは?」のような掛け合いが長い場面があり、そこがやや食傷気味だったため星を下げましたが、それ以外は見事な作品。
昭和・平成生まれの世代はもちろんのこと、是非、令和生まれの子供たちにも素敵な古典として観て頂きたいものです。
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